たごさく 四季のたより
山和食品株式会社が店舗展開する、 四季を味わう「たごさく」、おこわの里「たもかみ」、釜揚げいなり「釜旬」、おむすび専門店「しゃれむすび」などの 情報やこだわり食材を紹介するブログです。
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スカイツリー駅と関東大震災の話
 去年(2012年)に日本で一番話題を集めた駅は「東京スカイツリー駅」と「東京駅」でしょう。
東京駅の話はまた書きますが、今日はスカイツリー駅について書きましょう。
東武鉄道の「業平橋」という地味な小さな駅が、「東京スカイツリー駅」と名前を変えて、すっかり立派な駅になっているのに、東京スカイツリーが出来て何ヶ月もたって行ってみて、びっくりしました。

 ただし、この駅の改名は、これが初めてではありません。実は昭和四年まで、ここは浅草駅だったのです。
東武鉄道の創業は古く、明治三十五年に業平橋・久喜駅の区間が開通しました。
しかし、東京側の駅は、技術の問題や認可の問題があって、鉄道が隅田川を越えることができず、止まっていました。そこで仕方なく業平橋に造った駅を「浅草駅」としたのです。

 関東大震災の後、焼け野原となった浅草の再建のために、東武鉄道を川を越えてのばすことになりました。
ノーベル賞作家川端康成の書いた「浅草紅団」という小説の中に、そのころの様子が詳しく書かれています。
 川端さんの小説で知った話。
関東大震災のあった大正十二年九月一日の早朝、浅草寺の大僧正が脳貧血を起こして倒れたそうです。
お昼近くになって、医者の手当てで漸く意識を回復した大僧正は、伝法院で休んでいました。
そこへ地震が来ました。
 大勢の避難民が浅草寺にやってきました。大僧正はその人たちをみんな、いつもは入れない伝法院の広い庭に入れました。その数一万五千人。
やがて火の手が庭に迫ってきました。大僧正は立ち上がって、熱心に火に向ってお経を唱えました。
すると、火の方向はよそに向かい、人々は救われたそうです。怪我をした人たちも大勢いて、塔頭の寺の坊さん達は着物や袈裟を焼かれて、洋服や浴衣姿のままで、血だらけ泥だらけになって看護したそうです。
 
言問橋から二本北に入った通りに富士小学校という学校がありました。いまもあります。
そこが震災で家を失った人の避難所になりました。そこで学校は二学期の始まりを十月まで延ばしたそうです。
それでも避難する人はいなくならず、学校はやむなく二部授業にしたそうです。

 大震災から昭和六年の現在の東武線浅草駅の開業まで丸八年たっています。
それでも震災の傷跡はまだ消えず、駅と松屋百貨店の建設途中の昭和四年に書かれた「浅草紅団」は、その震災の中で育った不良少年、不良少女の物語です。でもその少年少女たちは活気に満ちています。
 東北大震災も、ほんとうに人々が立ちあがるまで、まだまだ多くの時間がかかるだろうなと思いました。

スカイツリー_s
東京ソラマチにございます「鶏めしたごさく」も宜しくお願い致します。
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蛇のように慧(さと)く、鳩のように素直に
今年は巳年で、メイン・キャラクターの動物は蛇です。
羊や犬と違って、リアルにその姿を描くと、気味が悪いし、デフォルメしてかわいく描くと漫画のようになります。
 テレビで見たのですが、ある動物園で、辰年から巳年に代るのに、おもちゃの竜をかかえて四人並んだ子どもたちに、今度は本物の白い大きな蛇をかかえさせる儀式をやっていました。
蛇は意外におとなしい動物で、子どもたちはこわがる様子は見せませんでしたが、
ほんとうはおっかなびっくりだろうなと思いました。

 「蛇のように慧(さと)く、鳩のように素直に」という言葉が、聖書の中にあります。
イエス・キリストが十二人の弟子達を伝道のために街に送るのに、
お前たちのこれから行くところは、狼は羊をかみ殺すような怖ろしいところだから、
蛇のように賢く、鳩のように無邪気でなければならない、と説教するところですが、
私たちは今年のへび年は、この言葉を座右の銘として生きるべきじゃないでしょうか。

 十二月に衆議院選挙があり、政権を担う政党が交代しました。
株価は上がり、円安ドル高に変っています。
よかったという人もいますが、政治も経済も外交も内政もどう変るかわからない。
みんなこれから先どうなるかと、不安を持っているでしょう。これは日本人だけではありません。


「蛇のように賢く」生きていかなければなりません。しかし、このキリストの言葉は「蛇のように」のあとに、
「鳩のように素直に」と言っているところです。
 非常に用心深く、まわりの様子をよくみながら暮してゆくことと同時に、
むやみに人を疑ったり、人間としていちばん大事な、人間そのものを信じて生きてゆくという態度を、
決して曲げてはならないということです。
 この三月で、あのおそろしい大震災から丸二年が経ちます。
いまでもちょっと大きな地震があると、また近いうちに大地震が来るのではないか、とおびえる人が一杯います。
 しかし、あの大地震の後で、私たちが痛感したのは、人間はこんなにも暖かいのかという、人間が人間を思う気持ちの豊かさの発見でした。
 亡くなった何万の人の命は決して戻りません。けれども、その人たちを悼む気持ちの先に、ともすれば失われがちな、人間が人間を愛するという、未来へのたくさんの灯明がともされていることを、心に銘じて生きたいと思います。
 もう一度。「蛇のごとく慧く、鳩のごとく素直であれ」(マタイ伝第10章16節)

巳年
こちらの可愛い巳年の置物は山和食品にいらっしゃる皆様をお出迎えしています。
ほんとうのお花見
 お花見の本来の目的は、田植の前に村でいちばん大きな桜の木の下に、
村人たちがつどい、花の咲き具合から、その年の米の出来を占い、
酒を酌み交わすというものであったようです。

 中国から伝わった梅は、貴族の花でしたが、桜はどこにでもある農村の木でした。
万葉集では、梅はハギに次いで多く詠まれ、百十八首を数えますが、桜の歌は数えるほどしかありません。
それが平安時代の古今集や新古今集になると逆転し、花といえば桜をさすようになりました。

 それは、農村の風習がいつのまにか貴族社会に伝わり、花のはかなさ、美しさに、
歌を詠む人が自分の運命を重ねるようになったせいでしょう。
室町時代から長い戦乱の世を経て、ようやく落ち着いた武家の世では、
桜の清楚な咲きぶり、散り際の美しさ、いさぎよさが、武士の鑑(かがみ)のように思われ、
人々に愛されたようです。

 しかし、ここで心に留めておきたいのは、この時代までの花見は、
大勢の人が群れて騒ぐといったものではなく、野山のあさみどりの中で、
霞か雲のような花をめでるようなものであったようです。

 現在のように、大勢の人があつまって、酒を飲んだり、歌を歌ったりする花見の発端は、
豊臣秀吉が、伏見の醍醐寺でおこなった「醍醐の花見」でした。
農民から太閤に出世した秀吉は、桜の花の咲き誇る醍醐寺に、
1300人の人を引き連れ、盛大な花見をおこないました。

 さらに江戸時代になると、八代将軍徳川吉宗は、享保5年(1720)に、
王子権現のそばにある飛鳥山に一挙に270本の桜の樹を植え、江戸市民の行楽の場をつくりました。
これが明治になっての上野寛永寺本堂の跡の上野公園の桜に受け継がれたようです。

 しかし、こうした花見場所の桜の散ったあとは、いちまつの寂しさがあります。
まるで祭りのあとのわびしさのようです。
 本来の桜とは、散ったあと何も残らないのではなく、
あたりの緑の中に余韻を残し、過ぎ行く春の情趣を奏でるものではないでしょうか。
 

浅緑花もひとつに霞みつつ おぼろにみゆる春の夜の月

 
 これは「更級日記」の作者菅原孝標(たかすえ)女(むすめ)が作った歌で、
新古今和歌集にも収められています。宮中の女官たちのあいだで、春と秋とどちらが好きかと問われて、
春が好きだと答えて詠んだ歌で、日記の中では多くの人に褒められたということですが、
この歌に詠まれた景色を見ると、なるほどなぁ、と思います。

 桜の花があたりの新緑に囲まれて、おりからの春のかげろうのなかで霞のように見える。
そして、空には潤んだ春の月が見える。
花見もこうしたもろもろの春の景色の中の調和の中で、しずかに行うべきものなのでしょう。

 昭和の最大の評論家であり、たいへんな桜好きであった小林秀雄さんは、
日本の桜の木がソメイヨシノばかりになってしまった、と歎いていましたが、
これは江戸時代の末期に江戸駒込在染井村の植木屋さんが作った
この新しい品種を悪いと言っているのではなく、この生育の早い、
十年ほどで花を咲かせる樹を一箇所に大量に植えて、
人工的な花見場を作った人間の心を歎いているのでしょう。

 桜の品種は350種類ぐらいあるそうですが、古来名木といわれる桜はみな、
あたりの野山との調和の中で美しく咲いています。

 今年は冬の寒さが厳しく、例年なら四月の初旬には満開になる桜も、
まだ蕾の樹が多いようですが、中旬には終わるでしょう。
しかし、花見はそこで終わるわけではありません。
美しい樹が多いといわれる東北地方の桜は四月の下旬に盛りを迎え、
弘前ではゴールデンウイークが花ざかりでしょう。北海道では五月が花の季節です。

 こうして北上する桜前線を追いながら、深まり行く新緑の中で、
散った花をしのび、あるいは咲く花を待つ。これが本当の花見ではないでしょうか?
これは、去った人を懐かしみ、あるいはあたらしい人と人との出会いを待つ心と同じであると思います。

最後に、山和食品株式会社はこうした春の心を、
お客様に精一杯味わっていただけるようなお弁当の提供を心掛けています。
皆様のご愛顧を心よりお願い申し上げます。

本当のお花見
歳が立つ
 「歳が立つ」という言葉は俳句にもありません。一般的には「歳がたつ」といえば、年が経つという事ですが、毎年、十一月、十二月になると、「歳」が立っているなという感じになります。つまり一年のうちで「歳」を意識するのはそのころだけで、ふだんはあんまりそのことを考えていないということでしょう。
 なかでも、わたくしが「歳」をいちばん感じるのは、「酉の市」です。ご存知のとおり、酉の市というのは、十一月の酉の日に東京の各地に立つ熊手を売る市のことで、いちばん有名なのは浅草鷲(おおとり)神社のものです。今年は「二の酉」が最後で、そこで売れ残った熊手は、神奈川・埼玉・千葉と地方の酉の日でない歳の市で売られます。

熊手
かっこめ(熊手御守り)
開運、商売繁盛の御守りとして神社で売られます。
かっこめは熊手で福を"かっこむ"と言う意味と、"勝米(かつこめ)"の2つの意味があります。


 当社のある埼玉県では大宮氷川神社の大湯祭が皮切りで、以下浦和の調(つきのみや)神社、川口は川口神社と市がつづきます。特に川口では「お亀市」という俗称がついていました。歳末近くなると秩父で市が立ち、関東近県ではこの2ヶ月は、どこかで酉の市が開かれ、「歳の終り」と「歳の初め」がずっと人々の心の中で意識され続けるのです。
 さて不景気が日本中を覆っている今年はどうでしょうか。鷲神社の「一の酉」に行きましたが、宵の口で去年はこの時間でも入り口で一時間以上も待たされたのに、今年は平日のせいか、すーっと入れました。境内も心なしか閑散で、それでも大きな熊手を買って、台の上に立ち、恥ずかしそうに手拍子を受けている人もチラホラいましたが、売っている鳶の人たちも、おそらく今年は厳しいだろうなと想像されました。
 生粋の江戸っ子作家だった久保田万太郎の晩年の小説に『三の酉』という作品があります。三の酉で知らない男と歩いているむかしなじみの女と、そのあとに出会って会話する、男女の会話だけで成り立つしみじみした小説ですが、この会話の情緒は際立っています。
 昭和三十年の暮に書かれた作品で、まだ空襲の焼跡が所々に残っていた時代のものです
「三の酉」とは十一月の三番目の酉の日に立つ市のことで、毎年あるわけではありません。今年は二の酉まででした。来年も七日、十九日と二日しかなので、めぐりで言えばさらい年にならなければ三の酉は来ないことになります。日本の慢性的デフレはあと最低でも五年続くという悲観的予測もありますが、せめてふたたび三の酉の来る再来年まで日本経済は立ち直ってほしいものです。
 三の酉のある歳は火事が多いという言い伝えがありますが、逆の目もあるでしょう。
 小説の中の男女のの会話
―あたしはね、三の酉の昼間行くんじゃなくっちゃァ嫌……
―そんなこといって、来年、三の酉がなかったらァ?……
―だったら、二の酉でいいわ。どっちにしても、はつ酉はいやなの、にぎやかすぎて……
 なるほど、激しく来年の福を願うには、三の酉の淋しい雰囲気のほうがふさわしいかもしれません。
ならばいっそのこと、今年はまだ行ったことのない山奥の市で暮の「歳立つ」のを実感してくるのもいいかな、と考えています。

師走弁当
師走弁当 税込924円
おかずは、赤魚の西京焼を使い、牛蒡の千切り炒め、揚げ物として、鶏唐揚げと豚肉の野菜ロール串。その他、がんも、竹の子の穂先、人参、椎茸、蕗の煮物を盛付けました。また、白木耳の柚子和えに蓮根スライスをいれ、香の物は青高菜と梅酢でつけた大根を使いました。 12月限定のお弁当です。お早めにお買い求めください。
「おいしんぼ」礼賛
 本の批評を専門に書く人、つまり文芸評論家と呼ばれる人から聞いた話ですが、
いちばんいい批評とは、読んだ人が、そのとりあげられている本を、すぐ読みたくなる批評だそうです。
 その反対が、読まなくても読んだつもりにさせる解説批評で、いま新聞や雑誌でされている書評とか新刊紹介は、圧倒的にあとのほうが多いそうです。
 書いている人の学識を知っても、まったく読む人には関係がないので、推理小説など、なまじっか筋書きを紹介されると、かえってがっかりします。
 これは、わたくしたちの食べ物の分野でも同じです。
 専門家が、どういう食材をどう調理して、などということを、どんなにしゃべっていても、おいしさは伝わってきません。
 それより、信用の置ける人が、
「あそこへ行って、あれを食べたけれど、とってもおいしかったよ」
と自分の食べたおいしさを語ってくれたほうが、ずっと信用できる気がします。
   
  ご存知の方も多いと存じますが、当社は現在、「いなりずし」や「おむすび」も売っていますが、
「おこわ」を主体にした米飯弁当が主流になっています。
しかし、会社が発展してゆく途上で、いちばん力になったのは、お客様の「あそこの稲荷ずしは、大きくておいしいよ」という口コミでした。だから口コミには感謝してもしきれない思いがあります。

いなり

 先日のブログで、インフルエンザは年寄りには免疫がある、たいしたことはないと書きましたが、秋を迎えると、日本でもじりじりと患者が増えてきました。
 大勢の人が集まる地域の集会も、中止になるものがあいつぎ、デパートなど人の集まるところも、すこしずつ客数が落ちるという状態になり、私たちの業界も、しだいに厳しさを増しています。
 そんなとき、いつも考えるのは、原点に返ると言うことです。
 われわれも、「ついでに」買ってゆく商品ではなく、
「あそこの、何々はおいしいよ、行って買ってきてごらん」と耳もとでささやかれるような商品を、造ってゆくことを考えたいと思います。
 ほんとうにほしいものは、多少の危険を冒しても、人は手に入れるでしょう。
 最初の本の話にもどると、専門家は信用できないから、実際に本屋の店頭で本を売っている人の評判を大事にしようという傾向が強くなって、「本屋大賞」というのもできています。「読書の秋」も、「食欲の秋」も同じことです。
 本物は、いつでも「おいしんぼ」の口から生まれるのではないでしょうか。

「おいしんぼ」礼賛

代表取締役 馬塲祥宏
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